津波による被害を受けた海岸林にてマツ林の再生を目指して、植樹が行われます。
記事を転載します。
東日本大震災にてクロマツを中心とした海岸林の針葉樹は、根が浅かったことにより流失し、家屋を破壊するという二次被害をもたらしました。
再び同じ結果をもたらしかねないクロマツを中心とした海岸林の再生には疑問が残ります。
土地本来の樹木を活用した海岸林の創出を望みます。
県は6月、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた県内の海岸防災林の再生に着手する。仙台湾沿岸に広がっていた防災林の起源は約400年前、仙台藩主伊達政宗の時代にさかのぼる。県は、発祥の地とされる七ケ浜町で6月16日に植樹イベントを開き、白砂青松の復活へ一歩を踏み出す。
震災前、県内の海岸林の面積は約1700ヘクタールあったが、大半が津波でなぎ倒された。県震災復興計画で県は、幹線道路や鉄道などによる津波の多重防御の一つとして、防災林の役割を明記。早期復旧を目指し、今後10年かけてクロマツや広葉樹を植栽する。
初年度となる2012年度は、七ケ浜町の約1.27ヘクタールで再生事業に着手。東松島市の野蒜海岸付近でも整備に入る予定。
6月16日は、七ケ浜町の湊浜緑地公園内の0.5ヘクタールにクロマツ2000本、ヤマザクラやコナラなどの広葉樹計500本を植える。クロマツのうち1000本は、5月に全国植樹祭が開かれた山口県から寄贈された苗木を活用する。
宮城の海岸林は1600年、伊達政宗が、新田開発した農地を潮風や強風から守るために七ケ浜町などで植栽したのが始まり。石巻市渡波から山元町磯浜までの沿岸約1000ヘクタールにクロマツを植えた。
県林業振興課は「子どもたちや地元の人たちとともに、由緒ある場所で再生のスタートを切りたい」と話している。
(河北新報 2012.05.30)