海岸林のクロマツが津波来襲時に凶器となる 8/19

東日本大震災において押し寄せる津波の前にクロマツを中心とした海岸林は大きな被害を被りました。またその際に根が浅いためになぎ倒されたマツは流木となって家々を破壊する凶器となりました。
再びこの悲劇を繰り返さないために、教訓を活かした防潮林づくりが望まれます。
記事を転載します。

「村守ったマツ、襲ってきた」 野田村の住宅を破壊 津波に強い防潮林再生へ /岩手

  東日本大震災の大津波で、沿岸部に県が長年かけて整備してきた防潮林は約9割が流失した。野田村では防潮林のクロマツが流木となって背後の住宅街の家々を壊し、住民は「今まで村を守ってきたクロマツが襲ってくるなんて」と衝撃を受けたが、一方で、流木にしがみついて命を救われた住民もいた。林野庁と県は教訓を基に、防潮林の再生計画に取り組んでいる。

 昨年3月11日、大地震から約50分後。米田(まいた)地区の村議、藤森俊勝さん(62)は高台へ逃げる途中で、松林の隙間(すきま)から海水が流れ込むのを見た。バリバリと音を立てて家や車が流されていく。高さ十数メートルの津波が押し寄せ、木々が一斉に傾いた。それきり松林は見えなくなった。

 この日午前、野田村森林組合は松林の間伐作業を行い、材木を周辺に積み上げていた。倒れたクロマツは材木とともに流され、次々と民家にぶつかった。村は住宅の約3割に当たる約500戸が全半壊した。藤森さんは「防潮林の効果はある程度あったかもしれないが、被害を拡大したのも松だ」と指摘する。

 県は、江戸時代に植林された陸前高田市の高田松原が昭和三陸津波(1933年)で被害拡大を防いだことから防潮林整備を進めてきた。野田村の植林開始も昭和初期。震災時は約12ヘクタールの敷地に1ヘクタール当たり500〜700本が植えられていた。

 元野田村郵便局長、中野亀太郎さん(87)は子供の頃、砂浜に苗木を植えた人たちの姿を覚えている。子供心に「これで多少の津波でも大丈夫だ」と安心感を覚えたという。だが震災後、考えは変わった。村のあちこちに、根を付けたまま抜けたクロマツが転がっていた。全壊した自宅の1階にも何本も漂着していた。「松林が凶器になってしまった」

 県によると、県有防潮林は24カ所(約50ヘクタール)中23カ所(約45ヘクタール)が壊滅。今回の津波に防潮林はまるで無力だった−−。多くの住民がそう感じたのに対し、研究者らでつくる林野庁の検討会は今年2月、津波の破壊力を弱める▽漂流物をせき止める▽流された人がすがりつく−−などの効果もあったと報告した。

 野田村にも流木に助けられた人がいる。米田地区の米田武雄さん(68)は自宅前で車ごと津波にのまれ、約1時間漂流した。何度か高台に近づくが、そのたびに引き波で押し戻される。そこへ長さ約2メートルのクロマツの幹が流れてきた。とっさに抱え込み、水をかいて高台に近づいた。「寒さで声も出なかったが、松が流れてきてホッとした」と振り返る。

 検討会は、幹だけでなく枝や葉も津波の勢いを和らげるとして、潮に強いクロマツなどを海岸沿いに植える一方、陸側に冬でも葉が落ちないカシワなどの広葉樹を植えるなど、多様な防潮林づくりを提言。県もこの提言に沿って再生を目指している。

 野田村で震災後に残ったクロマツは20本余り。海岸沿いは更地に変わった。松林が「凶器」になったと感じた中野さんも、一変した風景に戸惑う。「海が近く感じられ、怖いような、寂しいような気がする」

(毎日新聞 地方版 2012.08.19)