プロジェクト進展報告 1/21

被災した海岸防災林の復興にむけて樹種選択が重要です。
戦後、荒廃した山林から流れ出た大量の土砂によってできた砂浜や砂丘 。
砂地でも容易に生長できるため、消去法で「最終的に」クロマツが選ばれたという経緯があります。
現在、山林は飽和状態となり土砂の供給は減少傾向にあります。これからの海岸林に植栽される樹種はどのようなものになるのでしょう。
過去、現在、未来を見据えた海岸林の復興を願います。
記事を転載します。

 東日本大震災の津波では、広大な海岸防災林が被災した。一部で復旧事業が始まっているが、樹木が育つ土地の造成や植える樹種の選択には課題が多い。日本の海岸の植生は四百年を超す「人と自然の関係」から生まれたとする研究もあり、歴史を踏まえ、長期的視点に立った再生や維持管理が求められている。
 青森県から千葉県まで、津波で被災した海岸防災林は延長約140キロ。特に仙台湾沿岸の平野部では、幹が折れたり、根ごと掘り起こされたように倒れたりする被害が広がった。宮城県の被害面積は1750ヘクタールにもなった。
 一方、津波被害を軽減する効果も。林野庁の調べでは、津波の勢いを分散させて建物の倒壊を防いだり、船などの漂流物が内陸まで流れないようくい止めたりする効果を確認。津波に流された人が木につかまって助かった事例もある。
 「ただ、圧倒的な津波エネルギーに対する効果は小さい。防災というより減災」と、同庁山地災害対策室は指摘する。
 そもそも海岸林は強風や飛砂、塩害から人々の生活を守るために育成されてきた。今後の再生は、従来の防災機能に、津波に対する減災効果をどの程度まで付け加えるかが課題。林帯の幅の確保や盛り土の造成などが検討されている。
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 「内陸部の森林の実態にも目を向けて、海岸林の再生を考えるべきだ」と、太田猛彦・東京大名誉教授(森林環境学)は訴える。太田さんは、国が設置した海岸防災林の再生検討会の座長を務め、過去数百年の森林環境と人の営みを踏まえた対策を主張する。
 木が乏しく、土や岩がむき出しになった山肌が果てしなく広がる光景。一九五〇年ごろまでの国内はどこも、はげ山だらけだった。太田さんは当時の写真を何枚も示し「日本人は長年にわたり、木材から下草、落ち葉まで森林の資源を奪い、山を荒廃させてきた」と説く。江戸時代の風景画にも「はげ山」が数多く描かれている。そこには「自然豊かな里山」はなく、太田さんは「植生が貧弱な荒れ地生態系だった」と指摘する。
 その結果、大量の土砂が河川を通して海岸に流れ、砂浜や砂丘が発達。飛砂の害に苦しんだ沿岸部の人々は、拡大する砂地でも成長できるとして最終的にクロマツを選んだ。白砂青松の景観が生まれた背景だ。
 戦後、状況は一変。拡大造林が進み、外材の輸入や化石燃料の消費拡大で、国産木材の利用は激減した。人の手が入らない山地の植生は著しく回復し、太田さんは「現在は森林の飽和状態にある」と表現する。かつてのような土砂の流出がなくなり、海に流されていく砂も減少。各地で砂浜の後退が起きている。
 海岸林の再生について太田さんは、現在の環境に加え、環境の大きな変化が数十年単位で起きうることも想定。先人の知恵で選ばれ、沿岸部で生育実績のあるクロマツの植樹を軸に、必要に応じて広葉樹を組み合わせることを提案する。
 「森林環境と人の営みは強く結びついている。海岸林に限らず、森林の多面的な役割を発揮させるために、適切な木材資源の活用が求められている」と話している。 

(中日新聞 2013.01.21)